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                             51 太田宿から鵜沼宿へ  歩行地図   | 
                           
                          
                            |  太田本町-深田町-酒倉-坂祝-うとう坂-緑苑-鵜沼東町  9.5 km | 
                           
                        
                       
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                      51 太田宿 
 美濃16宿の中央にある太田宿。太田宿には、中山道三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えた。宿の長さは6町14間(680m程度)、東から上町、中町、下町と続き。枡形が東西にあった。現在では美濃太田駅前から少しはなれて、古い町並みや枡形などが残り、宿場の雰囲気は残っている。 
本陣1 脇本陣1 旅籠20      宿の全体図 | 
                     
                 
 
                        2009年8月24日 伏見宿からの続き 16:20 
■神明堂~枡形跡 
 太田橋を渡り、土手を歩いて来て、適当な所を右折したら、太田の「神明堂」交差点に出た。ここは飛騨道と追分であったのだが、後で知ったことで、本日は気がつかず通り過ぎて宿を進んで行った。 
 途中右手に●「中山道太田宿」の看板があり、右「伏見宿三里 左太田宿脇本陣三丁」とある。 
 左手に●法華経塚というのがある。墓地の入口に建てられた石碑だったといわれています。  | 
                     
 
 
                         ■枡形跡~脇本陣跡 
 続いて元町に残る●枡形跡を通過する。左手前にあるのが●祐泉寺 
臨済宗妙心寺派で天明6年(1474の建立。火難、水難から守るという瀧場観音があり、美濃西国27番札所になっている。江戸時代初期の渡しはこの寺あたりに来ていたという。 
 境内には松尾芭蕉、北原白秋、坪内逍遥、などの歌碑や数多くの石仏が並んでいます。槍ヶ岳を開山した播隆上人や、日本ラインの名付け親の志賀重昮の墓碑もあります。太田宿には●常夜燈風の看板が置かれていて中々好ましい。 16:32 | 
                     
 
 
                          枡形の先が太田宿の一番の賑わっていた所で、古い家が沢山残っている。●旧小松屋(吉田家住居)。「資料館」になっていて、太田宿案内資料が置かれている。●永楽屋さんは永楽通宝の看板のある和装店。●卯建の乗る食料品店など。 | 
                     
 
 
                        ■脇本陣跡~西の枡形跡 
 ●御代桜醸造 
 江戸時代は茶屋と酒の販売を営んでいて、明治に入り、旧本陣の福田家から酒造権を譲り受け醸造をはじめました。 
  ●旧太田脇本陣「林家住宅」 
 旧太田脇本陣「林家住宅」は、明和6年(1769)に建築された主屋と天保2年(1831)に建築された表門と袖塀、それに裏の二棟の土蔵から成っています 林家は他に庄屋や尾張藩勘定所の御用達を務めた旧家であります。江戸時代の原型をとどめる数少ない脇本陣です、ということ。 16:40 | 
                     
 
 
                         ●本陣跡 
 本陣は福田家が代々務め、間口21間、奥行き22間。北側には堀もめぐらせ、垣根もめぐらせていまが、今は門だけが残るだけ。 
 「和宮」降嫁の際に新築されたという。本陣の先は●西の枡形跡で、その向い側に明治25年に作られた●道標が立っている。 
 右 関上有知  左 西京伊勢道   
枡形を左折し、再び右折して行くと橋の下をくぐると「太田小学校」前へ出ます。 16:50 | 
                     
 
 
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                       ■西の枡形跡~板祝駅(さかほぎえき) 
 太田小学校が●「太田代官所」跡で、尾張藩の代官所が置かれ、中津川から鵜沼までの中山道と木曽川沿った尾張領を治めていた。明治の文豪「坪内逍遥」はここの代官所に勤めていた「坪内平之進」の息子で役宅が生家だったという。校庭の一部が「逍遥公園」となっており、顕彰碑もあります。木曾川の縁に「大井戸の渡し跡」というのがあるらしかったけど、わからなかった。ここあたりの旧道は堤防改修により無くなっているというので、左に●木曾川を見ながら●堤防沿いに歩いて行った。木曾川も細くなり、奇岩が見える所のようだ。もうちょっと早ければ、日本ラインの舟が下って行くところが見えたはず。そして●JR「板祝駅」まで来て、本日はここまでとし、近辺にホテルがないので1駅乗り「美濃太田」まで戻ることにした。17:45 | 
                     
 
 
                        2009年8月25日  8:00 
 ■板祝駅~岩屋観音 
美濃太田駅前にある、ステーションホテルに泊り、また「板祝駅」から木曾川堤防の道までやってきました。●サイクリング道としてきれいに整備されていた。今日は東京へ帰る日で、加納宿のある、岐阜駅が目標となる。 
 前方の「城山」の頂上を見ると、なにやら城跡らしきものが見え、●猿啄(さるばみ)城跡 
後で調べたら、別に城ではなく、1997年に建てられた城型の展望台だそうだ。猿啄城という城があり、織田信長に攻められて落城、天正3年(1575)廃城となってしまったとか
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                         「勝山」の所で、堤防を降り、「勝山西」交差点から国道は左カーブして行くが、右手に●「岩屋観音」への道がある。 
 この道が旧道で山の縁を張付くように進んで行く道だが、当時木曾川沿いには岩が多く、よけて通るためこんな所を通っていた。和宮も通った道という。細い道で相当苦労したも思われる。岩窟の内に、●観音堂があります。 
 岩屋観音は推古天皇の時に勧請されたと伝わる古い観音で、お堂に石造が安置されている。階段を下って行くと国道に合流した。8:25 | 
                     
 
 
                         ■岩屋観音~うぬまの森 
 国道の左側にレストラン「ゆらぎ」(但し営業の気配がない)があり、敷地の先に「中山道左へ」の看板が立っていて、階段を下りると国道をくぐる●トンネルがある。少々不気味ながらくぐって行くと、JRも越えて山道に入っていく。 
 山道を上がって行くと、やがて石畳の道になってきて●うとう坂と呼ばれる坂を上がって行く。細久手から御嵩に出る途中に「謡坂」というのがあったが、こちらは「謡う」とは関係なく、「疎い」ということからきて「不気味」とかの意味があるという。 
 狭い道を上がると、やがて)、「いこいの広場」に出てきた。その先に一里塚がある。 8:50 | 
                     
 
 
                          ●「うとう峠一里塚」 
 南北両側に塚が残っているが、北側はよく原型を保っているものの、南側は太平洋戦争の兵舎建設で半分削られてしまった。 
 。一里塚跡を過ぎると、大きな公園があり、「日本ラインうぬまの森」という。ここには●うぬまの森の石碑。●「森の本やさん」、休憩所などがありました。道の西側は団地、南側は住宅地が広がっています。9:00 | 
                     
 
 
                        ■うぬまの森~うぬま東町 
 中山道は団地の道をしばらく下ると「合戸池」へ出て、団地の間を縫って中山道が下ります。ここら辺は高台になっており、●ずーと視界が広がり、眺めがとても良い。 
 高台から下って行くと右手に「赤坂神社」が見え、突き当りは右折していくが、左手に●地蔵堂が小さく建っている。地蔵堂のある所が「鵜沼宿」の東の見付というらしく、高札場もあったという。ここが鵜沼宿の入口という説もあるのだけど、少し先だという説もあり、少し進んでみた。  | 
                     
 
 
                         を右折していくと先ほどの●「赤坂神社」の石柱があり奥には鳥居も立っていて、こちらが参道のようだ。門前に常夜灯もある。 
 ここからしばらく歩くと、5差路へぶつかり、交差点手前左角に、「ここは中山道鵜沼宿 これよりうとう峠」というおおきな●石碑が立ち、ここから鵜沼宿が始るようだった。9:25 | 
                     
        
       
      
       
      
               
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