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| 1 新宿追分〜新高円寺 | 2 新高円寺〜武蔵関 | 3 武蔵関〜新小平 | 4 新小平〜青梅 |
![]() 2009年4月11日武蔵野線新小平駅着。駅前の青梅街道から再開します。■新小平駅〜小平上宿 駅前から西へ進むと、すぐ左手に●鎌倉街道がやって来る。説明版が立っている。この道は古代、武蔵国府と上野国府を結ぶ(東山道武蔵路)であり、その後鎌倉街道・上道ともなった。新田義貞はここを南下し、分倍河原の戦いで勝利し、執権北条高時を自刃させ、鎌倉幕府を滅亡させている。その先は●府中街道がカギ状に交差している。カギ状のため渋滞の名所とか。 9:35 |
![]() ずーと西へ向う。南側は「小川新田」といい、新田らしく、長方形の街区が続いている。右手に新田開発に功績のあった「小川家」の広い宅地が広がる。小川家の建物の一部は「ふるさと村」へ移築されている。「小川寺前」バス停の前に「小川寺」(しょうせんじ)がある。小川村開村と同時に「小川九郎兵衛」が開基した。堂々とした●仁王門を入ると、きれいな庭園が広がっている。奥にある●梵鐘は貞享3年(1686)に鋳造され、小川寺檀家57戸により寄進されたもの。貞享の頃は青梅街道の全盛期で、江戸城の修復、明暦の大火の復興に要する石灰などの資材の運搬でにぎわい、馬継場の荷役稼働による収入で生活にも潤いが出来て、梵鐘の寄進に応えたものと思われると説明にある 10:00 |
![]() 斜め向かいに●小平神明宮がある。入口に「是より北山口 東江戸道」と彫られた道標があるが、手前の面はすっかり磨り減ってしまっている。寛文元年(1661)名主、農民の総力を挙げて、造営、小川村の総氏神とした。鳥居から長い参道が続き、武蔵野特有のケヤキなどがそびえていて、感じが良い。社殿は大きく、立派なものであるけど、本殿は例により覆われていて見ることが出来ない。御輿庫には大きな御神輿が3台ほど納めれている。小平上宿交差点で道は二股に分かれ、左へ行く道はは「立川通り」といい、立川駅に通じている。青梅街道は右を行く。10:15 |
![]() ■小平上宿〜青梅橋右へ行く前に、立川通りに入ってすぐ左に入る所に●「竹内家」の大きな屋敷があり、裏庭に大ケヤキがある。竹内家がこの地に移り住んだ寛文年間(1661〜)に、春の赤風と秋の台風に備えて植樹されたもので、樹齢300年以上で樹高35m、枝張り面積400平方メートルもあるとか。 右側の街道を進むと●青梅橋に着く。西武線「東大和駅」が交差している。明暦元年(1655)野火止用水が完成すると、「青梅橋」が架けられたのでその名が残っている。今では全く面影は無くなった。横断歩道脇に、安永5年(1776)の庚申塔がある。右側面に「西おうめみち 北山くちみち」左側面には「東江戸南八王子道」と刻まれ道標を兼ねている。 10:30 |
![]() ■青梅橋〜イオン・伊奈平橋青梅橋から現在の青梅街道は北に向い、奈良橋から武蔵村山を通って箱根ヶ崎へ向っているが、旧道はすぐ左折をして●「桜街道」と呼ばれる道を通っていたようです。そこでこの道を歩くことにした。南側に大きな公園があったり、桜の木が植っていたりする真っ直ぐな道になります。途中ダイエー、ヨーカドー、森永の工場があったりします。 半分ぐらいくると、多摩都市モノレールが南北に通っていて、その名も●「桜街道」という駅があります。 11:08 |
![]() 「都営村山団地」という大きな団地を右に見て進むと、「江戸街道」という標識もある。やがて●「榎」という交差点に突き当ると、「江戸街道は」大きく右へ曲って行くが、旧道は細くなって、真っ直ぐ進んでいる。左手は茶畑で、右手は梨畑で白い花が咲いていた。突き当ると、左側に「武蔵村山病院」、右手には●「イオンモールミュー」の大きなショッピングセンターが広がる。ここは「日産自動車。村山工場の」跡地で、旧道はここを斜めに横断していたようでした。もちろん跡形もないので現在の道を、「伊奈平橋」の方へ向います。 12:00 |
![]() ■伊奈平橋〜横田基地・グリーンタウン南「伊奈平橋」から北へ向い、手打うどん店手前から再び始まっている旧道へ入ります。●「残堀川」に架かる「上砂橋」を渡って、右方向へ行きます。「残堀川」は水源は狭山池らしいけど、水は全く流れていなかった。すぐに「三ツ藤橋」から来る大きな道と合流する。 この道は「榎」交差点からやって来る●「江戸街道」で、旧青梅街道であるが、この先「横田基地」で分断されてしまうことになる。 12:40 |
![]() 「江戸道」は真っ直ぐ進んで行くと、「IHI」の工場の先で●「横田基地」で行止りとなってしまう(地図の赤丸地点)。地図を見てみると基地の向側に「江戸街道公園」というのがあり、そこから「旧江戸街道」というのが続いている。結んでみると、ぴったり繋がり、真っ直ぐ箱根ヶ崎へ向っている(地図の点線)。資料によるとこの道は江戸時代には、「原江戸道」と呼ばれ、箱根ヶ崎から田無へ向かう最短の道で、石灰を運ぶだけならこちらの方が都合が良い。しかし「原江戸道」は何もない原っぱで、追いはぎも出た物騒な道なので、あまり利用されず、もっぱら手前の「中原」あたりから右斜めに上がって行く道が利用されたといわれている。(地図の青線)。そこで基地から真っ直ぐ戻って、「グリーンタウン南」交差点から北西方向へ行くことにした。この道も寸断されて正確な道でなはないようだ。 |
![]() ■グリーンタウン南〜ジョイフル本田・一本榎●「グリーンタウン南」交差点を北上していくと、バス停先に●明治4年の道標が立っている。」「右青梅道」「左羽村道」などと読むことが出来る。原江戸道と青梅街道との分岐点に置かれたというので位置は違っている。 「中原公園」の前を通り、「グリーンタウン武蔵村山・集会場」の前に斜めに旧道が残っているので進んで行く。正面に「ジョイフル本田」のホームセンターが見える。 13:40 |
![]() ■一本榎〜瑞穂石畑交差点「ジョイフル本田」駐車場脇に●一本榎という場所がある。一里塚のような塚になっており、榎の脇に庚申塔が立っている。工事中らしく、柵があって入れない。特になんの説明もないので下調べしとかないと、なんだかよくわからないものだ。新青梅街道には「三本榎」という所もあるので関係があると思う。「ジョイフル本田」の前を通って行くと、●「瑞穂石畑」交差点に出る。旧道はその先、ななめに北西方向へ細い道が続いている。 14:05 |
![]() ■瑞穂石畑交差点〜箱根ヶ崎・御嶽神社瑞穂第一小学校の前に、「江戸街道」という新しい表示板がある。その先左手旧家らしい「関谷」家の先の日光街道を右折して行くと、現在の青梅街道と合流する。その左折する右角に「創業明治5年漢方の會田」という店がある。いかにも古い老舗という雰囲気がある。しかしこの付近の写真を撮ったけど、露出オーバーを起していて使い物にならず、残念ことをした。現在の青梅街道を進み、JR八高線を越え、その先の●分岐で左側を行く。右側は「岩藏街道」という。ここらへんはどんどん進み、御嶽神社交差点で右折すると、●「大井戸公園」というのがある。右側に深い井戸があり、まいまいず井戸と同じ形で、ぐるぐると回りながら井戸に下りて行きます。深く掘らないと水にたどり着かないのでこういう形になった。武蔵野は水に苦労する所であった。 15:50 |
![]() ■御嶽神社〜鈴法寺跡公園の北側が●新町「御嶽神社」。新町開拓の折、始祖吉野織部之助正清が新町村開拓完成と同時に、元和2年9月大和国金峯山権現を勧請し御嶽大権現と称し村内鎮守としてお祀りしたのが始まり。社殿は昭和のもので新しい。 街道に戻るとすぐ右手に●「旧吉野家」の茅葺の住宅が建つ。新町を開拓した吉野織部之助は「忍城」城主「成田氏」の家臣であったが、主人の滅亡後、この地に定着し、名主として繁栄した。この建物は安政2年(1855)に建てられた。 |
![]() ●鈴法寺跡吉野家のすぐ先が「鈴法寺公園」となっており、ここが虚無僧で有名な普化宗の総本山であった。武蔵国幸手の藤袴村に創設されていたが、川越付近の葦草村に移転し再度、慶長18年(1613)に当地に寺持ちの「月山養風」が吉野氏と同じ忍藩士であった関係でこの地に移転した。幕府は普化宗を保護し、全国120ヵ所の総本山として栄えたが、明治4年普化宗が廃止になり、その後28年に焼失、現在では公園の奥に●歴代寺持の墓が10基残るにすぎない。水戸街道「小金宿」にも虚無僧の寺「一月寺」跡というのがある。 16:00 |
![]() ■鈴法寺跡〜道間公園・東青梅街道は「野上交差点」付近から道は右に大きく曲がっていて、「大曲り」と称している。というので交差点を右折してみる。もっとも、区画整理で道は完全になくなっているが、「道間公園」前に旧道が残っているということなので、公園までは適当に歩く。●公園から少し先の市民センターまでの道が旧道だそうです。センターを通って、先を北上し、「東青梅5北」信号付近から、弓なりに旧道が残っている。途中の分岐点に自然石でできた「道標」がある。 |
![]() ■東青梅〜青梅宿・青梅駅道標の先、「六万通」の角右手に●六万部薬師堂がある。天正18年(1591)師岡城落城後、近隣で大いに疫病がはやり、防除の祈祷と戦死者追福を祈願して、天寧寺8世正翁長達が法華経六万部を読誦書写して創立したもの。 旧道は、東青梅駅北口を右折、道なりに行って、成木街道入口交差点を横切り、青梅線の踏切を渡ると●青梅宿に入って行く。 宿に入ると、オリンピック招致のフラッグがすべての街路灯に張られている。おかげで「ぶらり青梅宿」という看板が隠されてしまった。風に飛ばされた所を一枚撮っておく。 16:40 |
![]() 青梅宿はいかにも旧宿場らしい面影が残り、あちこちに古い建物が残っている。「青梅宿町屋めぐり」という案内図を持っていたのだけど、さすがに今日は25kmを越え疲れたので、見て回る気が起きなかった。道沿いにも沢山●土蔵造りの様な建物が建っている。「住吉神社」などもあったが、鳥居を見るだけで終えた。青梅にはなぜか古い映画の看板画が多い。ジョン・ウェインの●「チザム」とか「第三の男」とか昔は映画少年だったので、なつかしいのだけど。なぜこうなったかというと、市内には日本で最後の現役映画看板師が在住していて、映画の看板を描いて掲示したところ好評だったので、町興しの一つ使われていったということらしい。 |
![]() 道の左側に●「青梅赤塚不二夫会館」、「昭和レトロ商品博物館」などというものもある。赤塚不二夫氏と青梅は直接関係はないようだけど、平成15年、昭和をテーマにし町興しをするここ青梅市の“昭和の元気の象徴”として『青梅赤塚不二夫会館』がオープンいたしました。ということだった。隣のレトロ博物館は昭和の一般商品(菓子・飲料・雑貨・文具・くすり・・・)の包装物資料を一堂に展示します。おそらく日本で初めての試みでありましょう・・・・・ということであるけど、あまり入る気も起らず、失礼しました。ということで、青梅街道4回目の今日は距離も長くなり、疲れたので青梅宿はあまり見られませんで、●JR青梅駅から5時過ぎ帰ることにしました。東青梅から続く「成木街道」には、江戸時代の石灰を焼いた跡が残っているらしいので、次回「成木街道」を歩いてみます。 16:55 |
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