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| 55 淀宿(東海道57次) 淀宿は、淀城の城下町であり、伏見宿からわずか1里14町の近い所にあった。江戸時代の淀城は、豊臣秀吉が築城して淀君を住まわせた淀城ではなく、伏見城を廃城にして、桂川、宇治川、木津川が合流する三角州に新しく築かれた淀城を指す。淀宿はこの新しい淀城の領域にある三つの町と淀小橋でつながった城外の三町で形成されて、水陸交通の要衝として繁栄した。 本陣0、脇本陣0 旅籠16 |
| 1 追分~伏見宿 | 2 伏見宿~淀宿 | 4 枚方宿~守口宿 | 5 守山宿~高麗橋 |
![]() 2010年1月30日 伏見宿からの続き 13:39淀駅~御幸橋 淀宿はもっと手前から始るらしいけど、どこら辺かよくわからないので、ここも一応 「淀駅」は二つあるので、調べたら、高架工事の関係で上下で違う駅を使用しているということだった。 駅の西側には淀城公園があり、興杼(よど)神社の鳥居が立っている。興杼神社は、豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命を祀る。応和年間(961~)僧の千観内供が肥前国河上村の興止日女大神(よどひめおおかみ)を勧請したことに始まると伝えられる。慶長12年(1627)に建立された |
![]() 公園内には奥に 「稲葉氏時代の淀城下」という案内板を見ると、現代の地形は全く昔と違っているのがよくわかる。歩いて来た所は川の際であったり、「淀小橋」という橋の上を歩いた訳である。 街道は京阪の線路で寸断されているので、踏切を渡り、「福祉センター」で右折していく。文相寺、西岸寺などを見ながら進むと、右手に軒卯建のある家がある。松ヶ崎記念病院の前を真っ直ぐとおり、突き当ったら右折して、13号へ行くところ、真っ直ぐ行って、「京滋バイパス」をくぐって、「御幸橋」へ向った。 |
![]() ![]() 宇治川に架かる |
しかしこの道は京街道とは関係ないようで、「京街道の」本によれば、本来の道は、青点線で示されているように、対岸の八幡市の楠の大木のある場所まで直線的に通っていたということだ。 現在の地形は、当時とはまったく違うので、川の上を歩いているとは想像もつかないが、現在の木津川土手沿いを行くしかない。 ここは御幸橋を渡って、直接土手を歩いた方が近道になると思う 「八幡市駅」の南方の山は「男山」で、その一角に有名な石清水八幡宮がある。3年前に来たことがあるので、ここは寄道せずにすませた。 |
![]() 楠木の所で少し左折して、土手から離れていく感じになる。大谷川に架かる小さい橋を渡り、T字路を右折して進むと。民家前に 15:10 |
![]() ![]() 手前に左に少し傾いている道標がある。 「 右八まん宮山道 是より十六丁 」・・・・ と書かれた道標に沿って行くと、左手に道標に出ていたと思われる 左手にも先ほどと同じ |
![]() ![]() 少し先を左折すると 橋本には対岸の山崎とを結ぶ渡し場があって交通の要所だったので江戸時代から賑わっていたが、明治になり京阪鉄道が開通したこともあり、遊廓ができた。一時は芸妓が400人もいたというが、もちろん今は廃止され、古い建物や |
![]() 橋本を出ると、土手にぶつかる。この先は「向陽本」と「イラストマップ」では大きく違っている。「本」では土手下を行き、「久親恩寺」の先、光明院の手前で土手下に出ている。マップでは橋本から先、京阪の踏切を越え、「久修園院」を通り、久親恩寺の所で右折して土手へ向って、左折して光明院へ向っている。本の方が正しいようだけど、土手の上は自動車専用道路のようになって、歩道がなくとても歩ける状態ではないので、サイトでは |
![]() ![]() その先の 「樟葉駅」手前で右折して、ガードをくぐり、 |
![]() ![]() 「樋之上」の信号の先で斜め左に入って行くのが旧道で、、船橋川に突き当たり、楠葉橋を渡る。橋を渡り、すぐ右折して細い道に入っていく。やがて「京阪線」線路に突き当るので、 京阪の |
![]() 交通量の多い御殿山駅の脇を通って先に進み、磯島信号交差点で、左手斜めの細い道を進むのが旧道らしい。「天之川町」というきれいな地名である。 右手角に |
![]() ![]() 橋を渡ってすぐ左折して土手沿いを下って行くと、枚方宿東見附跡で、 |
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