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浜街道(絹の道) 2 | 2 町田から横浜まで 歩行地図 |
| 南町田駅−長津田辻−川井浄水場−中原街道−鶴ヶ峰−白根−上星川−保土ヶ谷−浅間台−戸部−野毛−シルクセンター 21.7km (44.60km) | ||
| 浜街道 1 八王子から町田 | 浜街道 2 町田から横浜 |
![]() 2009年5月3日 東急「南町田駅」到着。浜街道の二日目。本日はここから横浜シルクセンターまで歩きます。大体「国道16号」に沿ったコースであるが、国道の左右の脇道を何度も蛇行して行くことになります。 9:50 ■小鶴橋〜横浜町田IC 駅前の「モンベル」などのショッピングセンターを過ぎて、「小鶴橋」に向います。橋から町田街道を歩き出し、246号高架橋をくぐる。ここは昔●「長津田辻」といって、江戸時代「大山道」との交差点で、大山詣での人々と行き交じって賑わった場所といわれます。 246号を渡り、町田街道を南下して行くと、「横浜町田IC」にぶつかって街道は途切れてしまう。ここから先「国道16号」へ出るわけだけど、わけがわからず、●高架下をくぐると高速の料金場の方へ出てしまうので、戻ってきて、右側ホテル前の高架を二つくぐると前方に「高千穂化学」という工場がある。 10:20 |
![]() 工場に沿って円形に行くと「東名高速」にぶつかるので、右折して●「横浜水道橋」という所で東名ををくぐる。くぐって左折すると、そこは●ホテル街で、前方に「国道16号東京環状線」が見えた。近づいて行き、右折すると無事「国道16号」に乗ることができた。歩き方として正しかったかどうかよくわからないけど、一応来ることはできた。地図を見ると「長津田辻」で右折して、「東名入口」交差点で素直に「国道16号」に出れば、ごちゃごちゃせずに来れたかもしれない。 10:30 |
![]() ■横浜町田IC〜若葉台団地入口「国道16号」を来て、「卸センター入口」でいったん16号と分れて、●坂を上がって行くとまたホテル街が続く。右側には「川井浄水場」がある。途中で町田市から横浜市へ入って行きます ホテル街の前に普通の民家が数軒建っていた。ホテルの後ろは騒音の国道だし、あまり環境がいいとはいいがたい。 道は下り坂を下っていき、●「川井浄水場入口」交差点で国道を16号越える。浜街道は国道とはなれ、脇道を進んで行きます。 10:45 |
![]() 脇道を進んで行くと、左側に四角いコンクリートの橋が繋がっていて、「水道橋」だろうと、ちょっと土手に上がって上を見ると、蓋がされていた。浄水場へ行く水路なのであった。ここらへんから浜街道は八王子街道へ近づいて行く。江戸時代、浜街道を横浜側では八王子道あるいは八王子往還と呼んでいたという。やがて●「亀甲山」(かめのこやま)交差点に来る。なぜ亀甲山というのか由来はよくわからなかった。 左側には「セブンスデーアドベンチスト教団」が広がり、見ると、谷を横断するような先ほどのコンクリート水路へ続く導水路が見える。長さ300メートルの●鉄製水路橋で初めて見る珍しいものでありました。11:00 |
![]() ■若葉台団地入口〜中原街道右手奥の高台に「長源寺」があり、石段を上がって行って、振返ってみると眺めが良ろしい。 次の交差点は「宮ノ下」で、名前の通り、左手に●神明神社があり、神社の中を通り裏手へ出た。神社の中に庚申塔が一基立っていたが、摩滅が激しく年代などはわからなかった。 神社の裏から、川井本町へ入り、丘の中腹の静かな道を歩いていく。途中左手に小さな祠があり、お地蔵が祀られている。傍らの説明によれば、●「岩船地蔵」といい、享保10年(1725)の建立で、全国的な大飢饉の時、老人や子どもを守るために建立されたという |
![]() ●「川井宿町」交差点で「国道16号」である、八王子街道とほとんど合流する。川井宿というので、元宿場でもあったのかと思い、調べてみると、昔の往還で集落があり、宿があったため名付けられたといわれていますというので、ここは八王子街道の宿場であったのかもしれない。浜街道は交差点を左折して、すぐ「文化財センター」という会社の脇を左折して、今度は円を描くように住宅地の中を入って行きます。 ここら辺はなぜこのように、遠回りになるのかわからないけど、進んで行く。左の奥には「ズーラシア」があるようだ。やがて●「中原街道」へ出る。ズーラシアへ行く車が繋がっていた。5連休の二日目で入るのが大変だ。後ろに観光バスもいる。 11:50 |
![]() ![]() ■中原街道〜鶴ヶ峰浄水場ここを通るのは二度目で、「中原街道」を歩いた時通過している。 ●都筑郡役所跡碑(明治11年開庁) ●日蓮大菩薩の報恩塔 ●庚申塔と連続して三つ、遺物が並びます。庚申塔は道標を兼ねていて、左側面に「指差し」の指が刻まれている変った形をしている。 |
![]() 中原街道を横断して坂を下って筑地という所で、国道16号に合流。八王子街道を今宿西町、今宿交番などと、今宿地区をそのまま進み、●鶴ヶ峰本町信号で今度は左斜めに入って行きます。そして薬王寺入口も左に進む。しばらく行くと、「史跡・駕籠塚」という少し壊れた案内が立っていたので、坂を上がって行くと、「鶴ヶ峰浄水場」というのがあり、その脇に畠山重忠古戦場跡と書いた柱が立ち、●遺跡・駕籠塚というのがあった。鎌倉時代の武将、畠山重忠は北条時政の謀略により、この地で、北条義時の大軍と戦い、討死した。重忠の妻は急を聞いて、駕籠で駆けつけたが、重忠の戦死を聞き駕籠中で自害。駕籠ごとここに埋葬された。重忠の墓は先ほどの分岐点の「薬王寺」にあるのだそうで、残念ながら見逃した。このあたりは「鎌倉街道中道」に関係するようなので、いずれ来る機会があると思う。 12:30 |
![]() ■鶴ヶ峰浄水場〜下白根街道に戻って来て、浄水場の横からは●「ふるさと尾根道ルート」というのを使うようで、階段になっており、そのルートを下って行くと、国道が下に見える、丘の中腹を歩くようになる。 ここの場所から、はるか東方向に●「横浜ランドマークタワー」が見えた。 白根交差点で国道に出る。道は国道を渡ってすぐ、国道の右へ入り、裏道を通って行く。このあたりまことにめまぐるしい。「白根不動」の所でまた国道に復帰する。12:45 |
![]() 「白根不動」信号の左手脇に●「道しるべ不動」という、道標を兼ねた不動像が立つ。寛政9年(1797)の建立になる。行かなかったけど、結構有名らしく、前九年の役(1053〜1062)で八幡太郎源義家は兜に不動明王をしのばせて勝利し、戦勝御礼に社殿を建て、兜をかぶった座像を祀った。これが白根不動堂の起源と伝わる。白糸の滝というのもあるそうで、行けばよかった。国道に戻るとすぐ先の「愛宕信号」の脇に、●「白根村道橋改修碑」がある。江戸中期、桜井茂左衛門が供養のため、田地を買収し、破損した橋を改修し、往来の難儀を救ったとあります。元文4年(1739)に建立されたもの。 12:57 |
![]() ■下白根〜西谷商店街●下白根交差点の手前で、また左斜めに入って行き(但しここは道を間違えた。先ほどの愛宕信号から左へ入って行かないといけなかったようだ)。ここには帷子川の治水のために地下分水路が出来ている。「西谷バス停」先で国道に出る。少し行って、「西谷町第2歩道橋」の脇から、今度は右へ入って行き、相鉄線の踏切を越え、新幹線の高架をくぐり、左回りに円弧を描くように進むと、やがて●「西谷商店街」という看板がある商店街へ出てきた。駅前商店街であるけれど、少々寂れた感じのする商店街で、途中の「マルエツ」で食料を仕入れることができ、いつものように歩きながら食することとなった 13:15 |
■西谷商店街〜上星川途中の郵便局脇を左折し、国道を渡り、「正観寺」を通って行くと、●「環状2号線」にぶつかり、ここは渡れないので、右折をして「川島高架橋」をくぐり、左折をして、今度は「上星川神明通トンネル」脇を通り、国道へ出た。 杉山神社信号の所から右折をして行き、住宅地を抜け、また国道へ出る。国道を少し行くと、●「東海道貨物線」という高架に出会った。こういう線路があるとは知らなかった。 13:45 |
![]() ■上星川〜宮田町2丁目貨物線の所からしばらく国道を進みます。●「和田町交差点」から又々左斜めの細い道に入ると、旧道らしい静かな道になる。すぐ国道に合流してしまい、国道の向うはにぎやかそうな「和田町商店街」が続いている。やがて「横浜新道」の高架をくぐり、すぐ左折していくことになる。「保土ヶ谷公園入口」で国道へ出て、すぐ右折して国道からはなれて行く。ケーズデンキの裏を通って、国道へ出て、峰岡公園の前を通る。峰岡小学校を過ぎ、SATYの所で国道に戻る。 ●宮田2丁目交差点で左折して行く。本当にめまぐるしく蛇行をしている。延命地蔵尊にはお二人寄添っていたのでお邪魔で撮影ができず・・・・。 |
![]() ■宮田町2丁目〜浅間神社やがて見たことのある●芝生の追分と呼ばれている場所に来た。東海道を歩いた時、ここへ来たわけである。当時は八王子街道の起点となっていたと読んで、ふーんと思っただけであったけど、そこを八王子から歩いて来たわけで少し感動した。浜街道はこの追分で終わることになります。 右側は相変らず賑やかな」松原商店街」。左へ行くと東海道は江戸へ向う道である。以前来たとき、祭礼で人出が多く、参拝できなかった、●浅間神社へ寄ってみた。浅間神社は街道より数メートル高台にある神社で、登り口左手の崖に冨士の裾野に通じているという横穴「冨士の人穴」で知られた所だが、戦後の発掘で横穴古墳であることが判明した。本殿は「浅間造」という派手な様式。 14:40 |
![]() ■浅間神社〜戸部「浅間下」交差点は少し大回りに渡って、●「新横浜通」を平沼橋へと向います。旧道はJRの上を通らないで平面で行けないものかと、辺りを探したけれど、JR、相鉄線とも踏切がなさそうなので、平沼橋をそのまま渡って行った。渡り終えたらすぐ下へ行く、階段があったので下りて行き、「平沼商店街」へと●「東急」の高架をくぐって行った。 平沼商店街、敷島橋と行くと、敷島橋の縁石にすわって、学生が読書の最中。こんな所で読まなくてもと思いつつ、戸部を通過、野毛坂に行あたる。 14:55 |
![]() ■戸部〜野毛坂・シルクセンター●野毛坂を左折すると、「横博」の影響からか、人出が多く、まともに真っ直ぐ歩ける状態ではなくなった。これが「関内駅」に近づくにつれひどくなってきた。「関内駅」前で左折して横浜の港の方へ向った。 やがて特徴ある●「横浜税関」の建物が見えてきた。この建物は3代目税関庁舎で、昭和9年の建築。イスラム風の塔は 神奈川県庁本庁舎(キング)、 横浜市開港記念会館(ジャック)と共に、 横浜の3塔として、「クイーン」と呼ぶそうな。県庁付近も人出が多く、県庁は開放されているらしく、屋上には人がいっぱいだった。 15:45 |
●シルクセンターやがて「絹の道」の一応のゴールとした、シルクセンターへ到着した。八王子から45kmほどの距離であった。 安政6年(1859)の開港により生糸の輸出が始り、馬や人力で、遣水峠を越し、活況を呈した浜街道も、明治41年(1908)の横浜鉄道(現在のJR横浜線)の開通によって、その使命を終え、衰退していった。現在ではその痕跡もわずか1キロほどの「史跡・絹の道」に残すのみ。国道を挟んで脇道が多く、結構楽しい旅となりました。 15:50 |
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