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日本橋天正8年(1580)江戸に入城した家康は、すぐさま江戸経営に着手した。まっ先に行ったのが日本橋川の整備と架橋といわれます。慶長8年(1603)日本橋が架けられ、翌年には日本の街道の起点として決められていく。以来、何度も架け替えられてきた日本橋ですが、現在の石造りの日本橋は1911年に建造されたもので重要文化財に指定されています。広重の絵では銀座方面から見ており、左側奥が三越、右奥は魚市場であった。七つ立ち(朝4時頃)の大名行列が出発している。 記念すべき、街道歩き第一日目のところ、内容が物足りなく、2010年12月5日品川まで歩き直して、写真を撮り直しました。古いものも残しておこうと思い、記事、写真共混在しています。 |
■日本橋~京橋 2006年4月2日 ●日本橋 日本橋10時40分出発、江戸人は朝4時には出発していた。界隈では桜祭りでした。今年は桜の開花も数日早く、満開の今日この頃、東海道の街道歩き記念すべき第1日、これから1日20㎞を目処に歩くことにしたいと思います。街道は銀座方面へ延びていきます。 日本橋は家康が幕府を開いた慶長8年(1603)には早くも架けられ、以来日本の経済の中心として発展してきた。日本橋から江戸橋にかけて魚河岸があり、●日本橋魚市場発祥の地碑が北側橋詰に立っている。 |
![]() また日本橋は日本の道路の元標であり、道路元標のプレートが道の真ん中に埋込まれている。見るには危険なのでその●模型が三越側橋詰にある。橋を渡って、野村證券ビル前の●「滝の広場」は「晒し場跡」で、処刑人の首などを晒していた怖い場所であった。 |
![]() 「日本橋」交差点を右折するのが「甲州街道」で、左折すると●コレド日本橋が建っている。以前は東急デパートであり、その昔は白木屋があった所。白木屋は寛文2年(1662)の創業であったが、昭和7年の大火後、東急に変ったのである。デパートの入口に●白木の名水井戸が残っていたが、現在はというと、裏手の広場に移設されていた。 銀座へ向って進むこととする。 |
■京橋~銀座京都に向って初めての橋であるので「京橋」という。本来京橋川に掛けられたものであったが、埋め立てられて,上は高速道路が通ります。警察博物館脇に擬宝珠が記念碑として残り、。渡った左手に●煉瓦銀座の碑とその隣は日本最古のガス燈(復元) 道路向こうには●江戸歌舞伎発祥の記念碑がある。京橋大根河岸跡などというの碑もある。皇居附近では鍛冶橋とか、呉服橋とか橋の名前が多いが江戸城の堀に掛っていたもので埋立てられて名前しか残っていない。 |
![]() ●銀座通り銀座は1丁目から8丁目まであり、江戸時代の町割りが比較的良く残っていると言われる。 2丁目右手に江戸時代銀貨を鋳造した役所が地名の起こりとなったことを書いた●銀座発祥の地の碑。 ●銀座4丁目交差点。江戸時代からの繁華街で、「尾張町」と呼ばれ、老舗が軒を並べていた。 |
![]() 8丁目を過ぎると「新橋」になる。新橋は朝鮮通信使を迎えるために新設された橋で、ここも上に高速道路が走っている。渡った左手に●新橋の親柱が残されている。隣はには●銀座栁の碑がある。 「♪♪昔恋しい銀座の柳~~」。 西条八十作詞、中山晋平作曲 |
![]() ■銀座~新橋汽笛一声~と歌われた新橋も再開発され、いつ行っても工事中であったが、大部整備された。新橋交差点の左手に●旧新橋駅が復元されている。又昔のプラットホームや●「0哩標識」、レールがわずかに残されている。 |
![]() 東海道は新橋を過ぎると、銀座通から国道15号(第一京浜)と変る。地下鉄大門駅あたりの右奥に●芝大神宮がある。寛弘2年(1005年創建された由緒ある神社で、鎌倉時代から「頼朝」や多くの武将に崇敬されて、江戸時代には家康より15石の社領を賜った。また、文化2年(1805)に起きた町火消し「め組」相撲の力士たちの乱闘事件が起きたことでも有名。「大門」交差点を右折すると、●増上寺の大門が見える。 |
![]() 増上寺が開かれたのは、明徳4年(1393年)、浄土宗第8祖聖聡(しょうそう)上人によって開かれた。浄土宗の東国の要として発展して行く。家康が徳川家の菩提寺として選び、以来2代秀忠など、十4代中6人の将軍の墓所が設けられている。●三解脱門は慶長16年(1611)の建立で重要文化財。●大殿と称する本堂に当る建物は現在のもの。後ろに東京タワーが見えている。徳川幕府の崩壊、明治維新後の神仏分離などの影響により規模は縮小し、芝公園は寺の境内に入っていた位だった。 |
![]() 金杉橋を越え、やがて大きく右にカーブして行く。日比谷通が合流してくる左手の「三菱自動車」のビル脇に●西郷隆盛と勝海舟の会見碑がある。慶応4年(1863)隆盛と勝はこのあたりにあった、薩摩藩邸で会見し、江戸城無血開城の交渉を行った。「札の辻」を過ぎ、右手のマンションの奥に●御田八幡神社がある。由緒ある神社で、江戸町民に人気があった。 |
![]() ■新橋~田町左手に国史跡の●高輪大木戸跡が見えてくる。江戸時代は町ごとに木戸を設け、自身番をおいて警固させた。江戸の入口であるため高輪は大木戸と呼ばる。旅人が送り迎えされるのもここまでであった。ここら辺は昔は牛町といい、牛飼いが多い。ここから荷物運搬用の牛を派遣した。江戸時代のトラックターミナルというような町であった。やがて●品川駅付近の高層ビル群が見えてくる。品川のビル街と共にヒートアイランド現象の元凶といわれている |
![]() 「泉岳寺交差点」から右手に入って、一回目は通り過ぎたが、今回は●泉岳寺に寄ってみた。言うまでもなく赤穂浪士四十七士の墓所であり、浅野内匠頭や奥方の墓もある。義士祭が近いこともあって、●四十七士の墓所には線香を焚く人が多かった。泉岳寺自体は七堂伽藍を完備した、叢林として名を馳せており、浅野家との関係は寛永の大火によって焼失してから、高輪再建移転した際に浅野など五大名が尽力したためにできたという。 |
![]() 品川駅をすぎ、左の八つ山橋を渡り掛かるが、このあたりからは昔は江戸湾が見えたはずで、高縄手といった高台の場所である。●右手は八つ山という山があった。「むかし大日堂ありしゆゑ大日山ともいふ」(図会)。ところ。今は削られてなくなってしまった。右手前方奥は御殿山ヒルズといって、高層マンション群となっている。ここの京浜急行踏み切りの渡り方に注意を要する。
真っ直ぐ広い道を行くとまちがいで、京浜線の右手前側が品川宿入口です。スーパーマップルV7の略図使用 |
![]() ● 品川宿入口●八つ山橋を渡ったあたりは第一回目の時は工事中であったが、きれいに整備されていた。●京浜急行の踏切の所に、「是より 品川宿 地内 」という標柱が立っている。踏切を渡ると品川宿です。 15:10終了 |
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