|
||||||
64 高宮宿高宮は多賀大社の入口にあたり、大鳥居が町の中央に建っている。また街道時代以前より市が立つ等人々の往来は盛んで、宿場が開かれた後も「高宮布」と呼ばれる「麻布」、近江八幡「蚊帳」の集散地として賑わいました。 本陣1 脇本陣2 旅籠23 |
![]() 2009年10月26日 鳥居本宿からの続き相変らず雨が降り続いている。 |
![]() 宿に入り、右側に高宮神社がある。鎌倉時代中期に建てられたと伝えられる古い神社で、古くは 「十禅師宮」 と称されていたが、明治になり、高宮神社と改称された。長い参道を行くと立派な |
![]() ![]() 神社の前の建物は、高宮布の問屋であった 高宮布とは高宮周辺で産出された麻布のことで、室町時代から貴族や上流階級の贈答品として珍重されてきた。江戸時代に入ってからも、高宮は 高級麻布の集散地 として栄えた。 当時の布惣は、7つあった蔵がいつも一杯で全部出荷されるとすぐ一杯になった。という。 高宮の町は商業の盛んな町であり、多賀大社への入口でもあって、とても賑わい、卯建の上がる家など、古い家並みが残っている。雨だったのであまり人出は多くなかったが、結構交通量は多かった。右手に提灯を製造している昔ながらの店がある。 9:50 |
![]() 左手に巨大な鳥居がどーんと立っている。ここから東へ3km程の所に「多賀大社」がある。多賀大社は「古事記」、「日本書紀」にも出てくる古い神社で伊邪那岐、伊邪那美を祀る。 時間が無く、行けなかったのが惜しかった。 鳥居は石造り、高さ11m、 柱の直径1.2m、柱間8m、という大きさで、寛永年間の造営という。鳥居の脇には、高さ6mの |
![]() 鳥居から少し先、右手に |
![]() 右手の家にその先の左手に 門構え、玄関付き、間口27m。 建坪396m2、の武家風の構造をした家だったが、現在は表門のみが遺存されている。 10:05 |
![]() ![]() 本陣前に明治天皇が宿泊されたという、 |
![]() ![]() 円照寺を出て、犬上川に来ると宿も終りになってしまう。ここに架かる橋は |
![]() ![]() 橋を渡ると、法士(ほうぜ)町に入り、葛籠(つづら)町に入ると、右手に 右手の奥まった所に入って行くと、竹林の中にぽつんと小さな祠がある。 |
![]() ![]() やがて「出町」の交差点にやって来るが、ここが彦根市と豊郷町との境界で、ここにも「また おいでやす」の碑が立っている。ケヤキ並木の中を行くと、「四十九院」の交差点に着く。右手に |
![]() ![]() 左手に広大な敷地の そのすぐ先左手八幡宮の前に |
![]() ![]() 「豊郷町役場」を「越えた左手に 天稚彦神社鳥居の隣に大きな旧家があり、その先に 11:22 |
![]() ![]() 金田池の先の右手に 江戸末期から蝦夷と内地とを北前船を用いた交易で財をなした 藤野喜兵衛(又十)本宅跡という。我国で初めて「鮭缶」の製造を始めた人物で、今日では「アケボノ印」の缶詰として受継がれている。現在は史料民芸館「豊会館」となっている。屋敷前に何故か一里塚の石碑が立っていた。 やがて見えてくるのは「宇曽川」に架かる |
![]() 橋を渡って行くと「沓掛」で、11:52 |
| 63 鳥居本宿へ |
65 愛知川宿へ |