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63 鳥居本宿東山道の時代は隣の「小野の集落」が宿場として機能していた。江戸時代に入り小野の衰退と共に鳥居本が宿場として徐々に整備されていき、寛永年代(1624~)に宿駅に制定された。一里隣に「彦根城」があり、城を行交う人々や、隣の高宮にある「多賀大社」の参拝者で賑わっていた。鳥居本の名の由来も多賀神社の一の鳥居が当地にあったことからといわれている。町並の長さは10町(1090m)、上矢倉村、鳥居本村、西法寺村と続く。 本陣1 脇本陣2 旅籠35 |
![]() 2009年10月25日番場宿からの続き摺針峠から鳥居本へ入ってくると、とたんに江戸時代に戻った様な空気が漂い、 左手に |
![]() 左に曲がる枡形の右手にあるのが「道中膝栗毛」にも登場する和漢健胃薬「赤玉神教丸」を製造販売する有川家。現在も昔の製法を伝えている。創業は万治元年(1658) 現在の建物は宝暦年間(1751~)に建てられたもので、右手の |
![]() ![]() 未だ宿場町の雰囲気を色濃く残す町並で、虫籠窓のある家や「卯建」のある古い家が左右に建並び、写真を撮っているときりがない。歩いていると実に楽しい所である。但しあんまり人とはすれ違うことはなかった。 右手の白い漆喰の家は天保3年(1832)創業の |
![]() 鳥居本で赤玉神教丸と並んで有名だったの が「合羽」(かっぱ)で、国定忠治などヤクザがよく羽織っているもので、あんまり格好のいいものと思われていないが、昔の旅人にははなくてはならない必需品であった。鳥居本は合羽の生産で有名で、椿を原料にした「和紙」に「防水性」を高めるための「柿渋」を塗り、他の地方の物より性能が良かったという。 左手に |
![]() 本陣の隣の家が本日はこれまでにして、 鳥居本駅は無人駅だが、雰囲気のある駅で、 昭和6年建造。建替えられたけれど、当時の様式を継承している。 17:00 |
![]() 2009年10月26日 7:50彦根から近江鉄道1駅乗って、鳥居本駅へやって来た。本日大雨になってしまった。しょうがないので傘を差しつつ歩き始めた。 駅から旧道へ入り、左手に、庇から屋根にまで達する大きな合羽型看板が掛けてある家がある。「包紙紐荷造材料」と書いてあって、 続いて交差点の角に、立派な |
![]() 右手にある大きな寺は「専宗寺」で、聖徳太子開祖と伝わる。かつては、佐和山城下町本町筋にあり、泉山泉寺と号していましたが、寛永17年(1640)に洞泉山専宗寺と改め、ここ西法寺村に移ってきました。本堂などの建立年代は18世紀後半のものと推定されています。山門の右隣の二階建の |
![]() ![]() しばらく歩くと、右手に入る道があり、角に 鳥居本宿は大体ここで終わりになり、この先は●水田が広がっている。左側に名神高速、右側に東海道新幹線が通っている。 8:15 |
![]() ![]() やがて小野の集落に入る 小野は東山道時代からの古い宿駅で、小野小町(おののこまち)の生誕の地ともいわれる。 道の左手に小さなお堂があるが、このお堂は 塚を出ると新幹線高架をくぐって、しばらく高架に沿って歩く。やがて |
![]() ![]() 右手に 「白髪塚」の方は 「恥じながら 残す白髪や 秋の風」 というもので、聖徳太子と守屋との戦い等、幾多の戦いの将士達をあわれみ、蕉風四世・祇川居士(陸奥の人で、芭蕉の門人)が師の夏の句に対し、 秋も詠んだ句と思われるとのこと。 8:51 |
![]() ![]() 八幡神社の先にある「五百らかん」の道標を撮ったと思って、家で見たら写っておらず、アチャって感じ。正方寺町を過ぎ芹川を渡ると右手に「旭森公園」があって、こんもりした小山の法面に沢山のお地蔵さんに色とりどりの前掛が掛けられているのが面白い。 小山にあるのが |
![]() またしばらく歩いて行くと、やがて右手に9:38 |
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