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55 美江寺宿この地は美江寺を中心とした門前町として発展していた。しかし戦国時代に寺が焼かれ、本尊の千手観音も斎藤道三により岐阜に移されて寂れていたが、寛文9年(1669)中山道の宿場に指定されて賑わうようになった。宿自体の規模は小さく、脇本陣はなく、旅籠も11軒しかなく、泊る旅人も少なかったといわれている。 本陣1 脇本陣0 旅籠11 |
![]() ![]() 2009年10月24日河渡宿からの続き。美江寺宿は「樽見線」踏切を越え、「美江寺東口」バス停付近から始まっていたという。ここに |
![]() 先の右手に見えてくるのが12:25 |
![]() ![]() 神社の奥に見える 宿場は神社前で |
![]() 左折して少し行った所に美江神社から350m程で右折することになり、美江寺宿もこの付近が宿はずれであった。 右折せずに真っ直ぐ行くと、一夜城で有名な「墨俣」へ通じている。右折してすぐ右手に見えるのは |
![]() ![]() 新月橋を渡ると左手に曲がって 右手には |
![]() ![]() 神社を過ぎると県道に合流し、赤い欄干の |
![]() ![]() 真っ直ぐに堤防へ向って進むと「揖斐川」へ出る。橋は |
![]() ![]() 寺の前を過ぎると右手に 先は右に曲がっていて、曲がると「即心院」や「蓮生寺」があるが、その先に見えてくる立派な門構えの家は「渡し」の船頭頭をつとめた |
![]() ![]() 和宮親王がご降嫁の折り、この揖斐川を渡られ、その舟中から東岸の色鮮やかに紅葉した楓を眺められ、これに感懐を託されて「落ち行く身と知りながら もみじ葉の人なつかしく こがれこそすれ」と詠まれました。のちの、和宮のご遺徳をしのび、昭和4年この呂久の渡しの地に歌碑を中心とし小廉紅園が建設されました。 |
![]() ![]() 小簾紅園を過ぎ、しばらく歩くと「平野井川」を「新橋」で渡り、 土手の道路をそのまま歩くと平野井川を渡ってしまので、旧道は橋を渡らずちょうど手前で左手の道路に下りて行く.。角に「中山道三回り半」と彫られた |
![]() ![]() ![]() 「中山道」は「赤花町」という所へ入り、西へ進みます。右手奥に 小さな橋を渡ると |
![]() ![]() ![]() 聖観音を越えるとこんどは「中山道七回り半」と彫られた新しい道標が置かれていて、この先の中山道が城下町に見られる、七曲りのように曲っている為に名付けられたと思われる。 あちこち案内板が立つので、安心して案内に沿って、何度も右折、左折しながら行くと、 |
![]() ![]() その先に「 |
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56 赤坂宿へ |